オーストリアを代表する芸術家の一人、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928〜2000)は、日本での居住経験があり、親日家としても知られる。日本の歌川広重や葛飾北斎の版画に感銘を受け、作品の一部にはその影響が濃く表れている。
ウィーン市内にある美術館クンストハウス・ウィーンの一部であるフンデルトヴァッサー美術館は、最も完成されたフンデルトヴァッサーコレクションを所蔵しており、世界各地からフンデルトヴァッサーのファンが訪れる。クンストハウス・ウィーンは、一芸術家に特化した美術館であるだけでなく、エコロジーをテーマにした現代美術展も開催しており、国内で初めてオーストリア政府からエコラベル承認を受けたグリーン美術館でもある。
写真:クンストハウス・ウィーン提供
フンデルトヴァッサーの活動は、絵画だけに留まらず、建築や映画などにおいて学際的な作品を手がけた。また、生涯を通じて、自然と人との共存を提唱した環境活動家でもあり、今日ではその先駆者の一人として知られている。彼は、「自然とは人間が依存しているものの中で唯一優勢な創造物である」という考えに基づき、自然・海洋・森林・動物の保護、そして原子力への反対を唱えた。また、世界各地で緑を豊かにする植林活動を行い、「より人間的で自然な建築」を目指し、今日のグリーン建築概念の一つである屋上庭園や木々に囲まれた建物を手がけた。
私生活でもサステナビリティを実践し、自宅では太陽光と水力発電由来の電気やバイオトイレを使用していた。フンデルトヴァッサーの芸術家としての最盛期、世界は戦後の経済成長下にあり、リニア型経済モデルが推進されていた。その一方で、フンデルトヴァッサーは、当時すでに今日我々が直面している環境問題を見据えていたと言える。
写真:クンストハウス・ウィーン提供
もう一つのクンストハウス・ウィーンの注目すべき点は、前述の持続可能な活動に対し、オーストリア政府が発行するエコラベル開発における貢献だ。エコラベルは、環境保護に取り組む企業や観光業、教育部門向けに設置されていたが、美術館のような文化施設は対象にされていなかった。そこで、フンデルトヴァッサーの環境保護活動における意思を受け継いだクンストハウス・ウィーン 館長Bettina Leidl氏は、国際美術館委員会ICOMの委員長をつとめる立場から、エコラベルの適用範囲を美術館などの文化施設へも拡大することを提案した。これを受け、政府はクンストハウス・ウィーン協力のもと、美術館・博物館や展示会会場におけるエコラベル基準の開発に着手した。完成までの3年を経て、クンストハウス・ウィーンが国内初の美術館としてエコラベル認定を受けたことで、文化部門におけるサステナビリティが具体化されることとなったのである。ちなみに、オーストリアエコラベルのロゴデザインは、1990年にフンデルトヴァッサーが手がけている。
芸術と環境保全
クンストハウス・ウィーンでは、5年前から館内展示作品に関する明確な方向性を打ち立て、芸術を通して環境やサステナビリティに関する問題を議論する場所となっている。フンデルトヴァッサーの作品の常設展に加え、彼が提唱した環境や自然に対する政治と社会責任を受け継ぎ、サステナビリティ・気候変動・リサイクルなどをテーマとした作品に焦点を当て、美術と学際的なプログラムを組み合わせた特別展を行っている。また、同館では、芸術、科学、行動主義などの分野におけるフォーラムを開催し、議論の場も提供している。
人間と自然の調和を唱えた芸術家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーの人物像とは?
今回クンストハウス・ウィーンを訪ね、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーとそのサステナビリティ思想、彼自身が設計した建物の一つである美術館で受け継がれる芸術家の信条について、館長のBettina Leidl氏に話を伺った。
クンストハウス・ウィーン館長 Bettina Leidl氏 (写真:クンストハウス・ウィーン提供)
Q. フンデルトヴァッサーの自然・環境保護思想についてお聞かせください。
フンデルトヴァッサーの思想は、19世紀の後半から20世紀初期における欧州やオーストリア・ドイツの伝統とも言える「自然と人間の関係」における思想に端を発しています。彼はエゴン・シーレに多大な影響を受けていました。この社会改革の時代、芸術家は新しい社会モデルを模索していました。その中で、常に一つのテーマとなっていたのが、自然と人間の関係です。フンデルトヴァッサーは、このテーマを芸術・日常生活・エコロジーと組み合わせたのです。
40年代から50年代の彼の初期作品をみると、その中には絵画手法だけでなく彼自身の生活が反映されています。時は第二次世界大戦後、人々はナチス・ドイツが行った大虐殺により、大きな傷を抱えていた時代です。フンデルトヴァッサーの母親はユダヤ人だったため、彼は戦争中に多くの親類縁者を失いました。過酷な状況下で子供時代を送ったのです。この時代多くの人々が彼のような体験をしており、戦後の芸術家たちは、それまでとは異なる「新しい世界」を創ることを夢見ました。
その中で、フンデルトヴァッサーの取り組みは、一貫して「理想的な暮らしの営みには自然が不可欠であり、どのような形でそれを一体化するか」というものでした。
若い頃の彼は、どちらかというと反抗児で芸術大学に進みましたが、3ヶ月後には放浪の旅に出発します。その中で、国際的な感覚を身につけ、人とのネットワークを構築しました。戦後のウィーンは戦争による破壊で、貧困の中にありました。フンデルトヴァッサーも貧しく、農家で働き、代わりに穀物を分けてもらうなどして生活していた時期もあります。その時の経験から、彼は限られたものでいかに生活するかということを学びました。そしてその後、「我々は、自然から与えられたもので生活できる」という考えを固めます。この初期時代が、彼の後の思想と生活スタイルを形成したと言ってもいいでしょう。
芸術家として成功した後も、フンデルトヴァッサーは、とても質素で謙虚な人でした。晩年にニュージーランドへ建設した自宅も、彼ほどの成功した芸術家なら豪邸を想像する人も多いでしょうが、むしろ小屋かコテージのような様相です。
そこでも、彼は水洗トイレを拒み、バイオトイレを設置しました。我々が今でいう「ゆりかごからゆりかごまで」という概念を、当時すでに自宅で実験していたのです。
Q. 環境保護やサステナビリティという言葉が定着している現在と比べ、フンデルトヴァッサーの思想や活動は、当時はまだ革新的だったのでは?一般的には、どのように捉えられていたのでしょうか?
フンデルトヴァッサーは、多くの活動を行なっていました。画家であり、建築家、デザイナーでもありました。彼は、「持続可能」な都市計画を目指し、緑をふんだんに取り入れた家々や街、建物の「自然な曲線」や「真っ直ぐでない床」、カラフルな柱などを設計しましたが、当時は驚きを持って迎えられました。
例えば、日常における緑の必然性など、おそらく、彼の考えは50年進んでいたと思います。当時、彼の建築は「一芸術家による建築」という受け止められ方をされていました。しかし、現在は、サステナビリティという意味で、社会的な同意を持って受け入れられています。
フンデルトヴァッサーの遺産
Q. 環境保護の促進という意味で、当時のフンデルトヴァッサーの社会的な影響力は?
フンデルトヴァッサーの未来像は、自然と環境保護における取り組みに基づくものでした。彼自身が、自己の作品や活動を通じて、人々により良い世界を作る可能性を示し、彼のユートピアを芸術家としての日常において現実のものとしたのです。
彼は影響力がありました。フンデルトヴァッサーは、首相やウィーン市長など、国内の政治家ともつながりがあったのです。当時の政治家は非常にオープンで、彼の思想だけでなく、彼と共に芸術や建築プロジェクトを実現することに興味を示していました。
ある日彼は、ウィーン市から、当時なんの変哲もなかった市内の廃棄物焼却施設のデザインを依頼されました。その時、引き受ける条件として、ウィーン市内における廃棄物の分別義務を設置することを提示しました。また、彼は、処理施設へのフィルター設置を強く要請し、当時としては最も進んだ技術が投入されました。そのおかげでウィーン市では、80年代という非常に早い時期に、紙・プラスチック・ガラス廃棄物の分別を開始しました。このシステムは、市とフンデルトヴァッサーとの協議によって始まったのです。結果、ウィーン市は大きく変わりました。
Q. 環境活動家としてのフンデルトヴァッサーから我々が学ぶことは?
彼は、その活動の中で「自然との契約」を提案しました。内容は非常に詩的なものですが、「契約」という形態は、それを交わす二者の間には同等の権利があることを示します。ここから分かるのは、フンデルトヴァッサー自身は、常に自然と人間は、個別のものではなく一体であると考えていたことです。これが彼自身の自然に対する敬意だったのです。また、彼が提唱した「自然との契約」は、環境における「権利」が法の下に定められるべきであるのかという今日の問いを示す、我々に残された遺産とも思われます。
60年や70年代の都市には、工業化や都市住宅の建設によって緑が減少しました。そこで、フンデルトヴァッサーは、どのように自然を都市に持ち帰るかを考えていました。その実践の一つとして、床の設計があります。彼によると、木々が生える地面は、直線でも平でもない。そこで、起伏する床が生まれました。直線は、彼にとって人工的なもので、自然ではありません。従って、この美術館を含め、彼が設計した建物には床以外にも多く曲線が使われています。
-確かにこの建物の曲線を見ると何か安心感を覚えます。
そうです。ここを訪れる人たちからは、「心地よさ」を感じるという声を聞きます。人々は、ここにくるとフンデルトヴァッサーが建物に持ち込んだ「自然」が尊重されていると感じるのです。
芸術の持つ力
Q. 環境保護や気候変動への取り組みにおける芸術と芸術家の役割とは?
私は、芸術家は、語りかける術を創造すると思っています。彼らの手法は、作品を見る人たち、美術館へ来る人たちの「感情的な部分」へ語りかけるものです。
現在、我々が直面している環境問題を理解するには、海洋や温暖化レベルの数値など、科学的、物質的な証拠や説明も必要です。しかし、そこには「絵」が存在しない。その「絵」を芸術家は提供することができるのです。何百ページにも及ぶ研究調査、分析などの報告書の中で説明されていることを、芸術は、一点の作品、一つのイメージを持って伝えることができるのです。これが、芸術の持つ力だと考えています。
だからこそ、芸術は我々の考え方や習慣を変えることも可能です。これが科学と組み合わされば、より強力な力となります。私自身は、芸術、芸術家、公共の文化施設は、我々の政治・社会・環境レベルにおける変革に貢献すると考えています。
取材協力:クンストハウス・ウィーン 館長Bettina Leidl氏