2050年までに100%サーキュラーエコノミーを実現するという目標を掲げ、世界のサーキュラーエコノミーを牽引しているオランダの首都、アムステルダム。今回のIDEAS FOR GOOD編集部によるアムステルダム取材では、アムステルダム在住・サーキュラーエコノミー研究家である安居昭博(やすいあきひろ)さんの多大な協力を得て、とても充実した時間を共有させていただいた。

安居さんは現在、企業向けにサーキュラーエコノミー視察イベントを開催したり、写真や動画などを通じて現地にいなければ分からないサーキュラーエコノミーに関する最新動向を世界に発信している。昨年度だけでアムステルダム視察を目的として安居さんを訪ねた企業は40社以上。もはや「日本で盛り上がりつつあるサーキュラーエコノミーの現状を安居さんの存在を抜きにして語ることはできない」と言っても過言ではないだろう。

今回は、そんな安居さんとIDEAS FOR GOODの編集長である加藤佑との対談が実現した。この対談では、「アムステルダムがサーキュラーエコノミー先進都市になれた歴史的背景」「日本の江戸時代に学ぶサーキュラーエコノミー」「サーキュラーエコノミーに必要不可欠な“多様性”」「凸凹があるからこそ、つながることができる」などをテーマに、サーキュラーエコノミーの本質に迫る。

安居さんと加藤さん
左:サーキュラーエコノミー研究家 安居昭博さん 右:IDEAS FOR GOOD編集長 加藤佑
話者プロフィール:安居昭博(やすいあきひろ)さん

奥井さん1988年生まれ。Circular Initiatives&Partners代表。アムステルダム在住サーキュラーエコノミー研究家 / サスティナブル・ビジネスコンサルタント / 映像クリエイター。2019年日経ビジネススクール x ETIC『SDGs時代の新規事業&起業力養成講座 ~資源循環から考えるサスティナブルなまちづくり~』講師。

オランダでサーキュラーエコノミーが浸透した理由

加藤:まず安居さんにお聞きしたいのは、なぜこれほどまでにオランダでサーキュラーエコノミーが浸透しているのかということです。

安居さん:理由はたくさんありますが、ここアムステルダムではサーキュラーエコノミーは経済と社会、そして地球環境のすべての視点で合理性が取れているという共通認識があることが大きな理由です。

加藤:環境のためにサーキュラーエコノミーを進めるという側面ももちろんあるけれど、オランダの場合はそれが合理的に考えた結果として選択されている、ということですよね。アムステルダムに実際住まれていて、それを実感しますか?

安居さん:感じますね。というのも、大企業もスタートアップも行政も一般の市民も、みんなが環境面だけでこれほど動くことはないと思っています。やはりそこに何が付いているのかというと「経済的合理性」です。環境面と経済的合理性はこれまで、どうしても“相容れないもの”だと思われてきました。しかし、気候変動や地下資源の枯渇、人口増加やマイクロプラスチック問題など、私たちがこれまで目を背けてきた負の外部性が、行政・企業・市民、誰にとっても無視できない経済的な問題になってきたことも、ここアムステルダムでサーキュラーエコノミーがこれほどまでに盛り上がっている背景には必ずあると思います。

安居さん

加藤:オランダ人が合理性を重視することは、これまでの歴史に紐付いているという分析もされていましたよね。

安居さん:僕が分析する限り、いくつかの要因があります。一つ目は宗教です。オランダは、世界で初のプロテスタントの国として独立をしたという歴史があります。そのとき、もともとオランダにいたユダヤ教徒やカトリック教徒を追い出したかというとそうではなくて、実質的に滞在を認めていたんですよね。なぜ認めていたかというと、当時からユダヤ教やカトリックを信仰する人々が、アムステルダムの経済を商業的に盛り上げていたからなんです。オランダがその人たちを追い出してしまうと商業的に苦しくなってしまうので、思想的には寛容な政策を取ることによって一緒に商業を盛り上げていこうという機運が高まりました。

そして、オランダがプロテスタントの国として独立した16世紀後半、アムステルダムがアジアとヨーロッパの交易の中心となり、オランダは黄金時代を迎えました。実はあまり知られていないのですが、この時代のアムステルダムが、今で見るアメリカのウォールストリートの前身になったと言われています。オランダ人の友人に「オランダは前例のないことをやっていてすごい」と、話すと「アキ、俺たちを誰だと思っているんだよ。世界で初の株式会社『東インド会社』を生み出したのも、ウォールストリートの前身を生み出したのも、俺たちなんだぜ」と、言われました(笑)これが、2つ目です。国ができた当時からオランダは、「他の国がやっているから何かをやる」のではなく、「自分たちがどうしたら経済合理性を取れるか」を考え抜いて実行してきた国なんです。

加藤:結局、少ないリソースで何かをやっていかなければならないときに、みんなでリスクをシェアする仕組みや、リターンを分け合う仕組みなどを作るうまさは、そうした過去の発明と同じ文脈の中で語れるということですよね。当時の日本とオランダの関係を見ても、日本が鎖国をするなかでもオランダだけは出島でうまく商売をしながら、最先端の技術や文化を日本に持ち込んでいました。そうしたコラボレーションのうまさやバランス感覚も、もしかしたらサーキュラーエコノミーが浸透した背景にあるのかもしれないですね。

加藤さん

安居さん:僕、ドイツに住んでいたときから、アムステルダム、ロンドン、パリ、コペンハーゲンなどでも映像を撮ったりインタビューしたりしていたのですが、アムステルダムだけは何か違うと思っていて。人がオープンマインドなんです。僕は今、Impact Hubというシェアオフィスに所属しているのですが、そこで出会うオランダ人は、人と人をつなぐのが大好きなんですよ。その方が将来的に自分にとっても社会にとってもプラスになることを理解していて、ビジネスにもそれが現れています。

加藤:人と人の近さで考えると、都市としてサイズもありますよね。サーキュラーエコノミーでは必ず異なるセクター同士のコラボレーションが必要となるので、やはりすぐに協働できる物理的な近さも強みになりますよね。

安居さん:その観点でアムステルダムがすごいのが、プライベートとパブリックの距離が近いことです。Amsterdam Smart Cityのような、プライベートとパブリック両方の機能を持った組織がアムステルダムにはいくつもあり、それが民間の企業だけだとどうしてもうまくいかないときや、スタートアップが大企業とコネクションが作りにくいといったときに間に入って、アムステルダムのネットワークを支えています。あとは人口も関係していますね。何か実験的なことをやりたいと思ったときに、人口は大体2,000万人以下が適していると言われています。オランダの人口も1,700万人。それくらいの人口だと、割と国ベースで新しいことをやりやすいと感じます。

加藤:全員が賛同するためには、民主的なアプローチが必要になる。そうなると、小さいサイズの方が意思決定をしやすい、ということですね。

「Learning by doing」で社会を変えるアクションを起こす

安居さん:オランダはボトムアップの国なんですよね。日本は企業も学校もトップダウンの社会ですよね。そうではなく、社会を変えるアクションを起こしたり、ディスカッションの場を作ったりして、自分たちだからできることを考えていくようなボトムアップの姿勢は、もっと日本にも必要だと思います。

加藤:人口の条件や、物理的に1票が持つ全体に対するパーセンテージが違う日本において、そのマインドを持つためにどうしたらいいのでしょうか。

安居さん:僕が個人的に思うのは、僕たち日本人は育ってきた環境の中で、何かやりたいことを徹底的にやって失敗するという考えが不足しているということです。オランダは、自分たちがいいと思ったら前例がなくてもやったりとか、100%確かではなくても、とにかくやってみるという “Learnig by doing”の考え方で、やりながら修正していっているんです。100%確実ではなくても、やってみる経験を子どものうちから積み重ねることが大切だと思います。学校教育だけ批判するのではなく、社会全体として。

加藤:それは国としての大きなシステムにリンクしていると思うんですよね。たとえば株式会社って、一番リスクが取れる仕組みですよね。投資家からお金を集めて、仮に事業に失敗したとしても、お金を返さなくていい。日本は、株式のような直接金融ではなく、間接金融を中心に市場が作られてきた。お金の調達という意味でもリスクが取りづらいファイナンス手法が中心だったので、構造的にリスクをとることが危ない仕組みになっていた。それが少なからず国民の考え方にも影響してきたのではないかと思います。こうした文化的なバックグラウンドをどう乗り越えるかも、一つのテーマかもしれませんね。

加藤さん

江戸時代の日本は、サーキュラーエコノミーのヒントの宝庫

安居さん:日本の場合は、江戸時代まで振り返れば、「サーキュラーエコノミー」とかわざわざ難しい言葉を出さなくても、その仕組みができていた、という話も加藤さんとしていて、面白かったです。

加藤:そうなんですよね。まさに江戸時代は「超循環型」のシステムです。鎖国して、食物も輸入できない環境の中ですべてを自前で調達するとしたときに、循環せざるを得なかったという背景があります。実際に江戸時代の事例を見てみても、着物は寝間着やおむつ、雑巾などに再利用され、最後はかまどで焼かれて灰になり、肥料や染物などに活用されていました。また、江戸時代は修理文化が全盛で、戦国時代が終わって刀のニーズがなくなった鍛冶屋は、鍋や窯などの修理屋として活躍しました。江戸の長屋では、大家が住人の排泄物を農家に売り、その費用で長屋を修繕するという仕組みでした。当時は排泄物が、今でいうマンションの管理費の役割を果たしており、都市と農村の循環も成り立っていたんです。家自体も基本的に木造で、屋根も藁葺きで全部が有機物で作られていた。焼いたら地球に還れる建築で、すべてがサーキュラーな状態だったんです。

こうした自然と共生した暮らしは、日本の文化や宗教とも影響していますよね。先日、京都で開催した体験ツアーで学んだのですが、古来の日本人は、人間と自然を分けていなかったのです。それを示す証拠として、人間の「目」「耳」「鼻」「頬」というパーツを表す言葉は、「芽」「実」「花」「穂」といった自然の植物の音に由来していると言われています。人間も自然の一部であるという前提で、植物を切ることすらも人間を切るのと同じくらいの痛みを感じるマインドセットがあったのかもしれません。その感覚が内蔵されていれば、自然と暮らし方がサーキュラーになりますよね。

また、面白いのは、Sutainable AmsterdamのCorneliaさんも「オランダのよさはオランダ人だけではわからない」と言っていたように、日本も同じく「SDGs」や「サーキュラーエコノミー」など、外から来た言葉をレンズとして自分たちの文化を見つめ直してみることではじめて、自分たちが古くから持っている価値を発見できるということです。現在の日本語も、やまと言葉、漢語、外来語という3つで構成されており、外から来た文化を融合してできています。

京都で一緒だった沼野利和先生は、「日本は最東端にあるから、大陸から伝わってきたものが出ていくところがなく、どんどんと溜まっていった。だからこそ、伝わったものを捨てることなくうまく融合させてきたのではないか」と言っていましたが、こうした異なるものを融合させるものは日本の強みであり、その意味では環境と経済、社会と経済といった形でこれまで切り離されてきたものをもう一度融合して捉え直すサーキュラーエコノミーの考え方は、日本の得意とすることでもあると思うんです。

取材の様子
Sutainable AmsterdamのCorneliaさんへの取材の様子

究極のサーキュラーエコノミーは、自然界にある

安居さん:加藤さんと話をしててその通りだと思ったのが、サーキュラーエコノミーを考えるときに、僕は自然環境がどう循環しているかを考えるんですよね。「廃棄物」という概念は元々自然界には存在せず、人間が設けたカテゴリーです。それって、サーキュラーエコノミーが究極的に目指しているところなんです。それには多様性が関係していて、もし自然界に5つくらいの生命体しかなかったとしたら、廃棄物になって全く利用されないものって、いくつもあると思うんですよね。でも自然界の中には、人間のテクノロジーがこれだけ進化してもまだ見つけられていない生命体や細菌が多様にいて、支え合って成り立っている。同じように、僕たちの社会の中でも何か一つを肯定したり否定したりするのではなく、一人一人や企業一つ一つが、それぞれの役割を持って多様になることによって、それがサーキュラーエコノミーの理想に近づくのではないかと思います。

加藤:まさにそうですね。多様性には「個体としての多様性」と「関係性の多様性」があって、同じ個体がただ多様に存在するだけではなく、多様な個体同士が多様に関わり合う状態が実現されることで、システム全体が強くなります。

社会課題に対してアクションを起こそうとしたときに、「個人として何をすることが本当に解決につながるのかが分からない」という議論がありますよね。たしかに、社会課題にはお互いにトレードオフなものもあって、局所的なアプローチが本当に全体をよくするのかと言われると、分からない。Ecological Memeの小林さんがお話されていたのですが、世界というシステム全体はあまりに複雑すぎて、人間が個体として全体最適を導き出すということは難しく、認知的な限界があるのです。そうした認知の限界を超えたイシューに対して一人の人間が優れたソリューションを作るのはすごく難しいと思うんです。

じゃあどういうアプローチを考えればいいかというと、システムの外側から俯瞰的に全体最適を考えようとするんじゃなくて、そのシステムの中にいるひとりの個人として、頭ではなく自分が持つ感覚を大事にしながら、システムの内側からアプローチすることが重要だと。そうすることで自然と生まれてくるのが、多様性だと思うのです。

結局のところ、ひとりひとりが自分の内側にある感覚を大事にすれば、みんなそもそも人とは違うんだから、自然とオリジナルな存在になれる。そして、ただオリジナルであるだけではなくて、自分と違う意見を持っている人とも関わる。海外に行ったり、自分とまったく接したことのない人と関わったりする。多様なインプットをすればするほど、さらに自分のオリジナリティも高まる。このようにオリジナルな個が、自分とは違った多様な個と関わることが、結局は一番システム全体の持続可能性に貢献できる生命体としての振る舞いということなんですね。生き方にも関わってくるって、面白いですよね。

安居さん:僕も日本の大学を出たので、就活のときは他の人が就活しているからしなきゃとか、割と外に目を向けがちでした。けど、同じように自分の心の中に目を向けることが大切なんですよね。自分は何が好きかとか、自分って何をしているときに心地よく思うんだろうかとか。

安居さん加藤さん

自分らしく多様であることが「クリエイティビティ」を加速させる

加藤:サーキュラーエコノミーを進める上で大切なのは、「クリエイティビティ」だという話もされてましたよね?

安居さん:僕のバックグラウンドが日本にあるからこそ「クリエイティビティ」の重要さに気づいたんだと思います。というのは、日本のサステナビリティの分野で足りていないのが、この「クリエイティビティ」や「デザイン」だと思うからです。これがフィンランドから来た人だったらまた違う答えがあったと思いますね。ちなみにLinkedInの調査でも、クリエイティビティが重要なスキルとして挙げられています。

サーキュラーエコノミーを考える上で、一人一人が自由な余白を持つことが大切だと思います。余裕がないと、クリエイティビティは生まれません。いいデザインも発想も出てこないし、人と話す時間も、企業同士が出会う時間もない。そして長期的に利益になりそうかわからない案件だったら短期的な方を優先してしまう。オランダ人は夏に働かないのですが、実はそういう時間が大切で、たとえ働かない時間があっても、一瞬のひらめきで取り返しているのかもしれません。

加藤:時間のゆとりが心のゆとりに関係しますからね。あとは、クリエイティビティにも多様性は必要不可欠な要素ですよね。これは以前に四角大輔さんともお話しさせていただいたことがあるのですが、サステナブルな社会と対極にある大量生産・大量消費の社会は、効率を重視するために同じ製品をたくさん作りますよね。そうした大量に生産されたマス向けの服や食べ物は、結局みんなが着たり食べたりしているものと同じもの。「みんなと同じインプットをしたときに、そこから生まれるアウトプットはオリジナルであれるのか」という問いがあって。

こうしたマスから脱却するためには、シンプルな例でいえば料理することも有効だと思います。料理って素材までは買うけど、最終的に食べるものはオリジナルにできますよね。食事という意味では素材から自分で育てる自給自足が究極ですし、情報だったら海外にいくとかもあります。オリジナリティのあるインプットを担保できれば、アウトプットは自然とオリジナルで他とは違ったものになる。クリエイティビティは、違うもの同士が組み合わさり、お互いに刺激しあうことで生まれるわけですから、多様な状態がクリエイティブな発想をもたらし、結果としてサステナブルな全体をつくる。

安居さん:その独創性って、まさにLearning by doingですね。前例がないこともまさにそうですし、オランダの事例は全部ユニークで、それが社会の多様化につながっている。

安居さん

どんな人も、多様性のなかで必ず活かされる

安居さん:僕の知る限り、アムステルダムのサーキュラーエコノミーで成長している企業は、働いている人たちも多様である傾向が見られます。全員大卒なわけではなく、中卒の人や障がいを持った人など、さまざまなバックグラウンドを持った人たちがいる。サーキュラーエコノミーが広がることは、一人一人の生き方の豊かさにもつながると思っています。なぜなら企業にとって、多様性やユニークさが必要となるから。サーキュラーエコノミーは、資源をロスがないように活用する仕組みですが、その対象は人材でもあるんです。

日本は今、中高生の18万人が不登校、ひきこもりと言われています。日本は、彼らの方に問題があって、どうしたら学校に戻ってもらえるかという政策をしていますが、それは違うと思うんです。彼らに問題があるのではなくて、彼らは学校に合わなかったのだから、学校に行かなくても別の道で生きる選択肢もあると、多様な可能性を見せてあげた方が彼ら自身にとっても社会全体にとってもより良いと、僕は思うんです。たとえばアムステルダムだったらInstockとか、Tony’s Chocolonleyとかでは、様々なバックグラウンドの人たちが働いています。複合施設「CIRCL」の中に入っている耳が不自由な人がお客さんに手話を教えてくれるSign languageカフェなんかもそうですよね。いろんな生き方があってこそ、社会も強くなると思うんです。

手話で注文するカフェ。画面をタップすると、コーヒーの頼み方を手話で教えてくれる。ドリンクにいれるミントもその場で栽培している。
手話で注文するカフェ。画面をタップすると、コーヒーの頼み方を手話で教えてくれる。

加藤:サーキュラーエコノミーは、誰かにとって「ゴミ」になってしまっているものを、他の誰かが「資源」として発見する仕組みです。人間の能力も同じで、自分は何の役にも立てないと思っている人でも、多様性の中では必ず活かされる場所がある。これは一人一人が違うことが前提で、そのうえでお互いがお互いの価値を発見する必要があって、そのためにはお互いが出会ってつながる必要がある。僕、greenz.jpさんの「いかしあうつながり」という言葉が大好きなんです。みんな違うから、一人一人の存在価値が発揮しやすい。強みも弱みも違うから、助ける必要があるし、助けられる必要がある。それぞれ凸凹があるからこそ、人と人がつながることができる。

その意味で、サーキュラーエコノミーって、とても「やさしい経済」だと思うんです。競争戦略としてのサーキュラーエコノミーとかそういうんじゃなくて、ただ「Being yourself(自分らしくあること)」であることが全体に多様性をもたらし、それによって循環のつながりが生まれ、持続可能なシステムが作られる。それが、人類が辿るべき唯一にして最大の戦略なのではないかなと。

加藤さんと安居さん
複合施設「CIRCL(サークル)」にて

※本記事は、ハーチ株式会社が運営する「IDEAS FOR GOOD」からの転載記事となります。