私たちの毎日に欠かせない「衣類」、そしてそれをつくる「繊維」。SDGsをはじめ世界的な環境意識の高まりを背景に、私たちの生活のなかでもエコやリサイクルという言葉が日常的に取り入れられるようになりましたが、それらの言葉が一般的になるずっと前から循環型社会の形成に向けた繊維リサイクルのありかたを模索する会社がここ、横浜にあります。

古布・古繊維を回収する故繊維問屋として1934年に横浜市中区で創業したナカノ株式会社では、故繊維をリサイクルした再生繊維原料やウエス、軍手の製造販売、また良質な中古衣料を広く海外に輸出することで、繊維の回収・循環システムの構築にいち早く取り組んできました。

ナカノ株式会社では「エコロジー(環境)」と「エコノミー(経済)」の二つの「エコ」が調和した社会を築くためには人の知恵や哲学が必要であると考え、これを「エコソフィー」と呼び、行動指針として事業を行っています。循環型社会の実現に向け、現在どのようなお取り組みをされているか、またこれからの展望について取締役副社長の窪田恭史(くぼた・やすふみ)さんにお話を伺いました。

金沢区にあるエコムナ横浜工場。物流センターとリサイクル工場の役割を持つ

昭和初期、再生品は決して珍しいものではなかった

━━━ナカノ株式会社の事業について教えてください。

「ナカノ株式会社は、衣類を中心としたリサイクル業を行う会社として1934年(昭和9年)に創業しました。お取引先である工場を中心に、リサイクルした再生品の販売とあわせて、製造業の皆様が使うマスクや手袋など必要なものをお届けする事業を営み、現在に至ります。

創業当時、再生品の販売は決して珍しいものではありませんでした。私たちのリサイクルの用途の一つにウエス(工場の油拭き等に使う布)があるのですが、昭和の始め頃にはウエスが日本の主要な輸出品目の上位に来るほど、盛んにリサイクルが行われていたのです。あらゆる資源物のリサイクル業が至るところにあって、紙・鉄・布・瓶といったように専門特化して発展していきました。その中で布を扱っていたのが当社です。

現在、横浜では南区に本社と、金沢区に工場があります。私たちのリサイクル業は、皆さんがお使いになっている衣類を集めることから始まります。それらがまず集まってくる拠点が金沢区にあるエコムナ横浜工場と、神奈川県秦野市にある秦野工場です。フィリピンのスービックという地域に、リサイクルの仕分けから製品作り、出荷までを行う自社工場があるため、そこでリサイクルする衣類を集荷し、発送する作業を横浜で行っています。また、フィリピンで作った製品を日本で販売するため引き受ける拠点にもなっています」

古着回収の様子

━━━ 横浜とフィリピンで循環をつくっているのですね。国内での循環の実現は、難しいのでしょうか?

「古着として輸出するもの以外は、ウエスや軍手などすべて日本国内で消費しています。資源としては循環しているのですが、リサイクルするための作業を行うのが難しく、海外に拠点を置いています。特に布の扱いは、機械化をするのが極めて難しい仕事です。すべて手作業で行うので大量に人を雇う必要があるのですが、フィリピンに工場設立を考えた1990年代初頭、日本はバブルの余韻がまだ色濃く残っていました。人件費が高騰し、働き口はたくさんあって、誰もリサイクルの仕事に目を向けなかったのです。『人手を要するのに人が来ない』という状況で、私たちの仕事は早くから人手不足に陥りました。それで海外進出を決めたという背景があります」

━━━大量生産・大量消費のバブル時代にもリサイクルに一途に取り組まれてきたと思うと、随分と時代を先取ったビジネスという印象を受けます。

「『バブル』と聞くと、景気がよくハッピーな時代だったのではないかと想像する方も多いと思うのですが、戦争中を除けば、我が社の歴史の中で一番苦労したのがバブル期でした。なぜかというと、地価が高騰したからです。私たちの仕事では、衣類が大量に集まってきます。どんなに売っても古着や古布のため付加価値は低いうえに、場所を取ります。バブル期には3K(きつい、汚い、危険)の仕事には人が集まらず、いくら募集をかけても人が集まりませんでした。景気がよく仕事もいくらでもあったので、土地は高い、人は来ない、人件費も高いという三重苦でしたね。『安くて新しいものがたくさんあるのに、なぜコストをかけてリサイクルする必要があるのか』と言われるような時代でした。リサイクル品は既存品にどんどん押されていき、リサイクル業に従事する会社もなくなっていきました」

創業者の中野静夫さん

エコロジー(環境)とエコノミー(経済)を両立する「エコソフィー」

━━━循環型社会を目指す「エコソフィー」を掲げられたきっかけは何だったのでしょうか。

「私の父であり、現在は会長である中野が力を入れていたのがきっかけです。中野が入社したのが昭和42年、高度経済成長期の頃でした。大量生産・大量廃棄が美徳とされ、リサイクル業が見向きもされなくなったのがその時期だったのです。より良いものを買う、より便利な暮らしを求めるという風潮がもてはやされ、当時は『リサイクルは貧しいからやるもの』というイメージがあったため、貧しさから脱出することでリサイクルから人々の関心が離れていきました。

一方で、当時騒がれていたのが公害と都市部におけるゴミ問題です。『資源問題に着目すれば、絶対に必要とされる仕事だ』という思いがあったのですが、世間ではリサイクルなんて意味がない、非合理だと思われていた時代でした。そこで『必要な意義をわかりやすい言葉で、筋を通して訴え続けていくことが必要だ』と考えたのです。まず最初は社章として、つながりとリサイクルのはじまりを意味する『協力印』をつくりました。また、1980年頃には他の資源物を扱う業者さんを集めて組合をつくり、『資源物を扱う仕事はこれから絶対に必要な仕事なんだ』と啓発活動を行い、そうした活動の一環として、10月20日をリサイクルの日と名づけて『リサイクル』という言葉をアピールしていきました。

自社の存在意義とは何かと考えたときに、まず浮かんだのは『活かす』こと。お客様のため、環境のため、住んでいる人皆が得になることを行い、その結果として私たちもお金をいただいて生活しています。仏教用語で自利利他という言葉がありますが、同様の意味で『他利自得』という言葉を使うようになりました。『活かす』と『他利自得』の二つの言葉の先に生まれたのが、エコロジー(環境)とエコノミー(経済)を両立した真に豊かな社会を実現するための知恵である『エコソフィー』です。

経済発展の只中で、当時は環境の問題は置いていかれていましたが、いつか必ず出てくると信じていました。環境と経済は、そもそも一つのものなのです。私たちはもともと資源物を扱うことによって経済活動を行ってきたので、その考えが身についています。環境にいいから事業のついでにリサイクルをしてきたわけではなく、環境に貢献すべきことを経済活動としてやってきたので、私たちのなかでは環境と経済を二つに分けるという考え自体が存在しませんでした。社内では当たり前のことが世間にとっては当たり前ではなく、しかし、必要な概念だと考えたのです。だからこそそれをわかりやすく、事業活動を通じて社内外にその意義を伝えていかなくてはいけないと思いました」

工場での作業の様子

環境と経済は、そもそも一つのもの

━━━御社の考える「循環型社会」が目指すものは何でしょうか。

「まさに『エコソフィー』に尽きると思います。さまざまな方面から取り組んでいる方がいらっしゃいますが、環境活動に力を入れている方はビジネスライクになることを避け、ビジネスに特化されている方はCSR活動等の必要性に駆られて『何か環境にいいことをしなければ』と、本業の傍らになってしまっていることもあるように見えます。これらは反対のようで、『環境』と『経済』の二つのエコを対立構図で描いていることには変わりないのです。近年ではSDGsやカーボンフットプリントなど新しい言葉が出てくるたびに話題になる印象がありますが、根本のところでこの二項対立から抜けきらないと大きな変化は生まれません。循環型社会をつくるのは、人間が営む経済活動なのです。経済活動とは私利私欲にまみれた活動ではなく、人間の行為そのもの。『環境と経済、そもそもが一つのもの』という考えから出発しないと、矛盾した議論になることが多いように見受けられます」

━━━循環型社会を目指すために具体的に取り組んでいることを教えてください。

「資源循環そのものを事業とする上で、私たちは資源を集める、製品化する、届けるところまで全て自社で行っています。布のリサイクルにおいては顕著なのですが、『リサイクルでこんな製品を作りました』となるものの、その先の使い手は決まっていないということも多いのです。リサイクルは作ったものを次の方に使っていただくことによって初めて形になるので、使われないものを生み出しても何にもなりません。ところが残念ながら、そこで止まってしまうケースが多々見られます。

逆に言えば、作って売れなければ私たちの会社は潰れてしまうのですが、もしそうだとしたら『エコノミーになっていないエコロジー』なのでどのみち意味をなさず、循環をつくりません。循環のサークルは常に経済と環境の二つが両立して初めて成り立つものだと考えています」

━━━社内において、何か取り組まれていることはありますか?

「もともと資源を扱う会社ですので、回収時、濡れないように衣類を包むビニール袋は分けてプラスチックを扱う業者に、段ボールなら紙資源を扱う業者に渡すなど、当たり前のようにネットワークができています。2005年にISO14001を取得したのですが、そのときから社員に強調しているのは『ISO14001のためにやっているのではない』ということです。そもそも社員の皆が行っている仕事そのものが環境に貢献しているのであって、ただそれを規格に当てはめて見えやすいようにしている、という言い方をしています。取得のためにチームを組んで審査のときだけ頑張るようなことはせず、ISO14001が要求するPDCAサイクルの構築もごく普通に会社の意思決定のなかに取り入れることで、いい影響を及ぼしているように感じています」

衣類を身につける全員が潜在的なステークホルダー

━━━お取り組みの中で、どのような課題を感じていますか。

「衣類という観点でいうと、2018年に高級ブランドがブランド保護のために在庫を焼却処分したことがニュースとして取り上げられ、世界中の非難を浴びました。アパレル産業は大量に服を生産し廃棄しているという認識が広まり、風当たりが強くなったように思います。私たちもさまざまな取材やお問い合わせをいただくのですが、アパレル企業から私たちのようなリサイクルを行う企業に在庫が運ばれ、廃棄されているという誤解をされる方も多くいらっしゃいます。『衣類の大量廃棄』という問題について、整理がついていないようにも感じますね。

バブル時代以前は、衣類はそれほど安いものではありませんでした。大量に買って、大量に捨てるようなものではなかったのです。社内の感覚になりますが、私が入社した2000年頃には、消費者が衣類を購入してからリサイクル資源になるまでの期間は約3年と言われていました。それから10年もしないうちに、その期間が約1.5年に縮まったのです。値段が下がったからという理由で、衣類が早いサイクルで消費されるようになりました。30年ほど前、日本は豊かな時代でしたが、衣類は使い捨て品ではありませんでした。それがファストファッションの登場により、昔のように『いいものを少なく持って大事に使う』のではなく、差別化のないものを着て、使い捨てるに近い感覚に社会がシフトしていったのです。

回収された古着

それだけ安い価格で衣類を販売するには、大量に作って原価率を下げなくてはいけません。しかし、全部売れるわけではなく、流行も早いサイクルでまわっていくので、余った商品を廃棄する必要があります。その代償として、安く手軽に衣類が手に入るのです。アパレル業界はそのような構造にあるため、セール時には8割引になることもあります。それができるのは、大量生産という構造の中で原価率を抑えているから。衣類の大量消費、大量焼却が問題だというならば、リサイクル以前にその構造自体を何とかしなくてはいけません。『衣類の廃棄を出さない』ことと『使い終わった衣類をどうするか』ということは別の議論で、アパレル業界とリサイクル業界ではそれぞれ視点も課題も異なるため、そこを混同してしまうと本当の結論に辿りつかず、今リサイクルできているものまで潰してしまう可能性もあります」

━━━業界を超えるという観点においても、循環型社会の実現にはパートナーシップが欠かせないと考えています。他の業界や企業などとどのようなパートナーシップを組んでいますか。

「横浜では、横浜市資源リサイクル事業共同組合において、さまざまな資源物を扱う事業者とつながっています。また、事業においてもお付き合いする方が幅広くいらっしゃいます。お取引先である海外の方々や製造業の皆様、衣類の回収にあたり一般市民の皆様と対話をする機会も多いです。弊社のWebサイト上にある『古着の出し方相談コーナー』では、皆様のお問い合わせに私が直接お答えしています。そういった対話があるのも珍しい仕事かもしれません。少なくとも日本では、衣類を身に付けていない人はいませんよね。そういう意味では全員が潜在的なステークホルダーになり得ると、社内でも話しています」

環境にいい商品、ものを大事に使うという行為は「豊かさの結果」でなくてはいけない

━━━地域内における資源循環を実現するにあたって、企業や個人は具体的にどんなアクションをしたら良いでしょうか。

「古着は関心が高い方も多いので、フリーマーケットに出したり交換したりするのも良いと思います。衣類のリサイクルは工業用製品に用いられることが多いため、古着として使われることを除けば、一般の方の目に触れることは少ないのです。衣類のリサイクルについて意外と知らない方が多いのは、そこに原因があると思います。

先ほどお話した一般市民の皆様との対話の中でも、手放す衣類に対する想いの大きさを感じています。家に溜まった新聞紙や段ボールをリサイクルに出す際に悲しみや罪悪感を感じたり、想いを手紙に書いて添えることはまずないと思うのですが、衣類の場合はそれがあるのです。私たちの工場に古着を送っていただく際、手紙が入っているのは珍しいことではありません。それほど衣類に対して思い入れがあるのに、回収されたあとどうなるのかが見えないということに対しては問題意識を感じており、何か見える形にしたいと思っています。エコバッグを作る、リメイクするなど色々できることはあるのですが、たくさん作っても全部売れなければ『やってみました』の域を出ません。そういった試みも大事ですが、循環という意味ではそこを抜け出せない難しさがあります。

古着から作られた軍手『よみがえり』

私たちはもともと軍手を作っていたため、そこに古着を取り入れようと考え、2009年に古着から作る軍手『よみがえり』を製品化しました。リサイクルした軍手を使った行為がさらに環境保全活動を生むという面白い商品で、清掃活動や植林活動をされている方、学生ボランティアの方など、一般市民の皆様にも喜んでいただけました。軍手は作業用なので、彼らが取り組んでいる環境活動に一緒についていくことができるのです。軍手であればある程度の量を作れますし、工場でも一般の家庭でも使えて、もらっても邪魔にはなりません。そういった背景もあり、2009年から累計で約500万双販売しています(2021年現在)。住んでいる地域内で資源を循環させることはもちろん大事ですが、地産地消することに限らず、日本の資源から作られたリサイクル品を積極的に日本国内で消費することが必要です。環境と経済の両立をするにあたり、海外で使うから輸出するということもあっていいと思います。

ただし、気をつけなくてはいけないのが『リサイクルが日本人が貧しくなった結果であってはいけない』ということです。たとえば、お金がなくて新しい洋服を買えないから古着を着るのであれば、本末転倒だと思うのです。環境にいい商品、ものを大事に使うという行為は、あくまで豊かさの結果でなくてはなりません。環境と経済を対立させて考えてしまうと、そういった失敗もしかねないと思います。多様な衣類を買ってファッションを楽しむのは豊かなことですし、決して悪いことではないのです。ただ、その中には行き過ぎや、改善しなくてはいけないこともあります。どうバランスを取るかが課題であって、二項対立で何が正義か考えるものではありません。

日本は戦時中、男性は国民服、女性はもんぺを着ていました。極端なたとえをすれば、今の社会においても皆同じものを着ていれば使い回しもできますし、素材は一つなのでリサイクルは簡単に実現できます。だからと言って同じ服を着るかというと、きっとほとんどの人は嫌ですよね。自分でもやらないことを、どうして正しいと言えるでしょうか。

この界隈でも、昔に比べれば古着屋は増えました。しかし、それはおそらく『安い衣類が欲しいから』です。かっこいいから、おしゃれだからという理由も一部にはあると思いますが、古着でなければいけない理由はあまりないように感じます。かつては古着=ヴィンテージ物であり、その一点ものでなくてはいけないからこそ高い値段がついていました。いまある古着屋は一般の衣類と同じか、それ以下の価格で販売されていることが多いですよね。最近ではスマートフォン等の機器に可処分所得を使うため、衣類にお金をかけたくないという方も多く、その結果として『古着でいい』という判断になっているケースも多いと思います。つまり可処分所得が減り、貧しくなったので古着屋が増えたとも言えるのです。これが環境意識が高まって古着を大事に着ることがトレンドとなり、それなりのお金を払ってでも買いたいという大勢の意識から来ているのであれば豊かさの結果といえると思うのですが、おそらくそうではありません。

やはり衣食住というだけあって、衣類の問題を考え出すと、いま日本が置かれている構造そのものの問題のように思います。『衣類のリサイクルを何とかしよう』と思うのであれば、先立つ若者の給料をあげなければいけません。若者の給料をあげるには、何でも買い叩かずに、下請け企業にも然るべき正当な価格をつける必要があります。グローバルな世界の中で底辺に向かって競争を続けていき窮乏化する構造自体をまず直さないと、(その代償として)環境にいいことをする余力がそもそも出てきません。経済政策を考える部署は経済政策を、環境に関する部署は環境問題だけを考える、というような縦割り構造だと、経済活動の結果として出てきた負の産物と捉えられることも多いと思います。リサイクルが主たる事業ではない場合、どうやって両立させるかという議論まで辿り着かないこともあるでしょう。

私たちのやっている事業は、衣類のリサイクルの中でも主流です。ただ、経済活動の視点を間違えれば、いま行われているリサイクルの取り組みさえなくなってしまうかもしれないのです。だからこそ私たち自身がリサイクルの重要性を自覚し、社内外に伝えていくことで皆様と共に考えていける方法を生み出し、表現していかなければいけないと思っています」

━━━最後に、今後の目標を教えてください。

「実は、私は世の中が不確実なほうが面白いと思っているので、20年後、30年後どうなっていたいというビジョンは具体的には描いていません。私たちが掲げているエコソフィーは、環境と経済を人間の知恵(ソフィア)でつなぐものです。つまり環境と経済の二つに目を向けるのは、人間です。

私がフォーカスしているのは、働いてくれている社員一人ひとりがいかに成長し、自身の幸せにつなげていくか。自分たちがまずそういったサイクルに入ることが、お客様や事業に賛同してくださる方など、今後関わる多くの人たちの幸せにつながると考えています。外に何かを働きかけようとするのであれば、まず自分から始めなくてはいけません。自分たちをどうよりよくしていくか考え、今日はお客様に喜んでもらえた、昨日までできなかったことができるようになったなど、成長の喜びを体験していく。そういったエネルギーが、周りにいい影響を及ぼしていくと思っています。その繰り返しです。いま行っているリサイクル事業も、一人ひとりの成長と自由な発想の中から変化していけばいいと思っています。価値観の軸があれば、あとは進んでいけばいいだけです。その結果、数十年後にどこで何を行い、何を感じているのか、あえて未知数のままでいたいと思いますね。

いまの若い世代に、環境や周りの人に貢献したいという意欲が強い方が多いのは素晴らしいことです。私たちの世代と比べて、思っていることを伝えたり、表現する能力ははるかに長けていると感じています。ただ、何かに対して確信を持つのは難しいことです。正しいから企業が存続できるとは限りませんし、私たちも世間から『不必要なのではないか』と言われながら生きてきた時代もありました。しかし『やらなければいけない』という信念が一つあれば、そういった不安を減らして、自信を持って前に進むことができます。だからこそ、若い世代の方々が『自分の見ている方向でいいんだ』と思えるような情報発信をすることはとても重要だと思います」

編集後記

「日本は貧しくなっている」というニュースを目にする中で、窪田さんの「環境にいい商品、ものを大事に使うという行為は『豊かさの結果』でなくてはいけない」という言葉が心に残りました。衣類においては古着屋に加え、フリマアプリの活用も一般的になってきていますが、「環境にいい」「かっこいい」などの積極的な理由ではなく、低所得等の理由から消極的な選択肢として古着やファストファッションを選ばざるを得ない人も多くなっていることが、環境について考える余裕のなさやさらなる貧困にもつながっているように感じます。

近年ではSDGsやサステナビリティを目標に掲げる企業も増えてきていますが、根本にある社会の構造を変えないことには、それすらトレンドとして消費されてしまう印象を受けます。窪田さんが語った『経済と環境は、そもそもは一つのもの』という考えに立ち戻り、個々人がいま一度身の回りの資源に目を向けて、購入するもの・関わっているサービスが作られるビジネスモデルを見つめ直し、社会や産業の構造を変えるためのアクションを起こすことが重要だと感じました。

ナカノ株式会社では横浜市に限らず、全国から不要になった衣類の回収を受け付けています。お住まいの地域では古着を回収していないという方は「古着の出し方相談コーナー」をご覧の上、ぜひ送ることを検討してみてはいかがでしょうか。

【参照ページ】ナカノ株式会社

※本記事は、ハーチ株式会社が運営する「Circular Yokohama」からの転載記事となります。