EUでは、デジタル製品パスポート(DPP)が盛り込まれたエコデザイン規則案がいよいよ発効に向かって動き始めている。モノと情報の一体化による資源の高付加価値化はサーキュラーエコノミーにおいて必然の流れともいえる。
世界のCO2総排出量の約4割を占めるとされる建造環境においては、建築物を資源貯蔵庫と見なす「マテリアルバンク」とそれを実現するツールであるマテリアルパスポート(以下、MPs)が注目されている。よく知られた事例として、欧州7カ国が参加したEUによる助成プロジェクトBAMB(Building as Material Bank)、オランダのMadasterなどのパイオニア企業が挙げられる。
英国でも、ネットゼロカーボン建築に貢献するMPsへの認知度や理解が産業界で広がる。今回、その急先鋒にあるEdenicaプロジェクト(ロンドン)のMPs実装プロジェクトを取材した。コンサルティング・建設企業のMace Groupとともにプロジェクトを主導する多分野コンサルタントWaterman Groupのコンテンツ長のNick Pilcher 氏とサステナビリティアソシエート Anastasia Stella 氏に話を伺った。
Edenicaにおけるマテリアルパスポートプロジェクトとは
約1万3000平方メートルの面積を有する13階建ての商業オフィスビルは、建築環境認証制度BREAAM の最高評価である「Outstanding」評価獲得を目指す。設計はFletcher Priest Architect、ディベロッパーはBauMont Real Estate CapitalとYardNine。建物の運用段階で排出されるオペレーショナルカーボンは正味ゼロとなるように設計。解体の容易さも追求する。
屋上庭園にはすべての入居者がアクセスでき、テムズ川、ウェストミンスター寺院、シティが一望できる。花やハーブ、野菜などの栽培が可能で、雨水・再生水の利用によりビル全体の水消費量が抑制される。
このように、全体として高い環境性能が追求されているが、このビルの最大の特徴はロンドン市内で初のマテリアルパスポートの実証が行われていることだ。プロジェクトを主導するWaterman Groupは、英国におけるMPsの標準化・政策への働きかけを通じて、リユース建材市場を確立する構想を描く。プロジェクトは欧州委員会のホライズン・ヨーロッパ2020より資金が提供される研究開発プロジェクト CIRCuIT (Cicular Construction in Regenerative Cities/2019-2023年)イニシアチブの一環でもある。同社は2023年10月にWaterman Materials Passports Framework(以下、フレームワーク)を発行し、このEdenicaプロジェクトから得た経験をもとに、より標準化されたリユース建材市場の確立に向けて関係者や行政へ働きかけを強める。
マテリアルパスポートプロジェクトは、ネットゼロカーボンに向けたステップ
本プロジェクトを主導しフレームワーク策定を担当したAnastasia Stella 氏は、幾度となく「リユース」という言葉を繰り返した。環境負荷が高い建築業界では、建材のリユースなしには環境負荷削減への道は遠くなるばかりであると強調する。そのため、マテリアルパスポートの主要な目的の一つはリユース建材市場を確立することである。現在でも英国ではこのような市場は存在する。しかし、まだボランタリーかつ偶発性の高いものになっているという。
「既存の現在のマーケットプレイスでは多くのリユース材は無料で交換されています。また、当然MPsがないので、材料の仕様や保証などの詳細が不明確であることが普及の障壁になっているのです。
我々はもう少し体系的な方法で構築したいと考えています。具体的にはメーカーが新品の建材同様に、これらのリユースされる建材も履歴情報を付与したうえで販売できるようにしたい。なぜなら、建築家等は信頼するメーカーの部材に慣れているからです。また、リユース材を安心できる状態で利用できることは彼らにとっても大きな価値になるはずです。
上記は一つの例ですが、MPsを使ったマーケットプレイスでは、解体から運搬、再製造までコンセプト全体が再構築される必要があると感じています。これが実現できると、リユース材に残余価値が生まれ、市場が作られるでしょう。真のサーキュラーエコノミーは、チャリティではなく価値のある資源の売買により成り立つと考えています」
Nick Pilcher 氏は、英国のネットゼロ目標が建設分野における建材リユース、ひいてはMPsを推進するドライバーになると語る。
「他業界と同様に建設業界も2050年ネットゼロ目標をターゲットとしていて、エンバディドカーボン(新築・改修・廃棄時に発生するカーボン)は建材リユースにより大幅に削減できることは言うまでもないでしょう。もっというと、リユースなしにはネットゼロは達成できないことは明らかです」
MPsは、高いリユース潜在性を有する建材のCO2排出量を特定でき、バージン材使用時との比較も可能となる。Pilcher氏は、CO2排出の観点から多くの企業にとってMPs利用のインセンティブがあり、結果的に責任ある企業としてのステータスを示し、持続可能な不動産ポートフォリオを構築することにつながると指摘する。
マテリアルパスポートは、資源利用と温室効果ガス排出量をより結合させるツールとして機能していくということだろう。
本当にマテリアルパスポートなるものが必要なのか
マテリアルパスポートの意義や有用性を問う声がよく聞かれる。既存の経済モデルにパスポートをつけることで、どこまで大量生産・大量消費・大量廃棄型の仕組みから脱却できるのか、情報入力も含めたシステム運用に対するコストへの懸念をどう乗り越えるのか、などがその代表格である。
Stella 氏は、「利点と最適な方法を示すことが成功の鍵」と指摘する。フレームワークでは材料レベル・建物レベル・都市や国家レベルでメリットの特定を試みている。
- 材料レベル
- 標準化された建設関連データ
- 材料タイプのベンチマーク
- リユース材保証
- ライフサイクルの記録
- 建物レベル
- 材料レベルの情報入力により、自動的に建物レベルパスポートの算出
- カーボン評価・循環性評価などの評価の自動化
- メンテナンススケジュールや建物管理
- マテリアルバンク
- 3D Model(BIM)との連携
- 解体指向性設計 (Design for Disassembly/ DfD)
- 都市・国家レベル
- 英国マテリアルストックデータベース
- 都市鉱山・材料売買
- 材料のEOF(エンドオブライフ)に関する統計算出
- ネットゼロパフォーマンス
上記3Dモデルとの連携は、成功の鍵になるものとして特にその重要性が強調された。BIMなどの既存のシステムと統合していくことで、それぞれのメリットが活かせるという。
「MPsはビジュアル化されない文字情報を含むのですが、BIMと連動させることで様々な部材を可視化させ、建物内の部材の正確な位置を特定することができます」
下記は、MPsが生み出す効果やシナジーを示している。エンドオブライフ、解体マニュアル、サーキュラリティ評価レポート、エンバディードカーボン評価、リユース・リサイクルカタログ、メンテナンススケジュール、ファシリティマネジメント評価など、MPsを作成しておくことで、利用者の目的に応じてさまざまな活用方法が考えられることがわかる。
上記に加え、Pilcher 氏は別観点からメリットを挙げた。外部からの評価である。
「ESG評価・証明の発展とともに、保有・管理不動産ポートフォリオにおける建物がどのように建てられ維持されているかに注目が集まっています。建物が計画した初期ライフサイクルを超える場合、MPsは環境価値の証明を容易にするでしょう。
既存建築物の解体を考慮する際、まずリユース可能な部材数を定量化することが、付加価値を生み出し、材料のライフサイクルを延ばし、次に使用される建物のエンバディドカーボンを削減することができます」
メリットは多くある。重要なのは何を目的としてMPsを使うのか、MPs利用にどんなインセンティブを持たせるのかを各ユーザーが明確に特定することだろう。
後編へ続く。
【参照記事】【後編】英Waterman、建設業界におけるマテリアルパスポート普及に向けた戦略とは?ロンドン初の実証から学ぶ
【参考レポート】Waterman Materials Passports Framework
【参考】Circuland
画像はすべてWaterman Group提供。