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EU電池規則により義務付けられているバッテリーパスポートは、今後段階的に導入が決められているデジタルプロダクトパスポートにおける初のユースケースである。2027年2月の適用を控え、欧州ではプロジェクト過程を経て産業規模における実装が始まっている。義務化を前に、すでにEV車へバッテリーパスポートの付与を開始した自動車OEMもある。
ブロックチェーン技術を用いたソリューションを提供する英拠点のCirculorは、このバッテリーパスポートにおける主要開発プロジェクトに関わり、そのソリューションを提供する第一人者だ。編集部は2022年、同社の最高経営責任者(CEO)Douglas Johnson-Poensgen氏へ取材し、当時のバッテリーパスポート開発初期における状況について話を聞いた。同社が重要な役割を担ったドイツ政府先導による「Battery Pass」開発プロジェクトは2025年2月に終了したが、2022年以降これまでの動きから実装例まで、最新の状況を掴むべく改めて取材を試みた。Circulor広報副部長ジェス・グリーン(Jess Green)氏が応じた。
バッテリーパスポート構築、2022年以降の進展について
Circulorが関わるバッテリーパスポート開発について、2022年以降の進展について教えてください。
グリーン氏:非常に嬉しい質問ですね。なぜなら、ダグが前回の取材でお話した当社のバッテリーパスポートに関する野心的なゴールは現在全て達成されたからです。世界初のバッテリーパスポートは、昨年自動車メーカー・ボルボ・カーズ(Volvo Cars)によって実装されました。開発に関わった我々にとってもこれは大きなマイルストーンでもあります。当社は2018年に創設されましたが、ボルボ・カーズとはその当時から協力関係にありました。2018年にコバルトの追跡から開始し、2024年の実装まで長い期間を要しました。これは、重要な鉱物のサプライチェーンを網羅するトレーサビリティへの対応、CO2の排出データ、その後収集したデータのバッテリーパスポートへ搭載するまでに必要な時間でした。
製品に関する透明性需要が急上昇
2022年以降の市場における大きな動きの一つとしては、製品の透明性への需要が高まったことがあります。その背景にはいくつかの要素があります。まずサステナビリティの推進です。そして、さらに重要なのが経済的な安全保障です。グローバル企業は、現在非常に不安定な地政学的環境のもとで事業を展開しています。そのためサプライチェーンはもとより、運営上必要なデータを常に収集・分析する必要性が著しく高まっているのです。これらのデータは、環境や社会への負荷を評価する上で必要なだけでなく、企業が一般的なリスクやサプライチェーン上における高リスクなサプライヤーを見つけることにも役立ちます。結果的に、今日のサプライチェーン固有の「不透明さとリスク」を避けることが可能になるのです。
一貫したトレーサビリティは、リスク回避のツールとして認識されています。サプライチェーンにおけるデューデリジェンスが正確であることを企業が確認する上で、可視性を与えるものとして理解されつつあるのです。そして重要なのは、責任ある調達と製品の持続可能な生産を証明することです。
トレーサビリティの鍵は第三者による管理と認証
当社は本格的な商業規模のソリューションを提供することが可能です。バッテリーパスポートはもうパイロットでも実証段階でもありません。当社が過去2年間で観察したことは、企業がバッテリーパスポート要件対応を全て自分たちで行うことは難しいということです。サプライチェーンを追跡するソリューションを開発するのは技術的には可能です。しかし、企業は自らの「課題」を自己採点するべきではないのです。さらに、これまで企業内で実施されてきた取り組みでは、サプライチェーン上における強制労働や人権侵害などのリスク回避は難しいということもわかっています。Circulorは、サプライチェーンの鉱山から精製、リサイクル施設までのサプライチェーン上の組織と協力のもと、第三者として独立的な立場からソリューションを提供できるのです。
バッテリーパスポートだけでなく、今後はエコデザイン規則(ESPR)のもとでデジタルプロダクトパスポート(DPP)が他の製品に対しても義務化されます。例えば、タイヤ・マットレス・スチール・アルミ・電子機器などです。こうした製品の一部は自動車部門にも影響します。当社ではこれらのセクターでもすでに顧客からの依頼を受け、開発を進めています。エコデザイン規則では、中立的な第三者によるDPPのバックアップコピーを保管することも義務づけられています。同要件は、企業が5年・10年・20年後に存在しない可能性を考慮したものです。その場合でも、バッテリーパスポートの維持・管理は必要なため、第三者がデータを管理することが重要となるのです。
この1年間で、電池のトレーサビリティにおけるグローバルな調和化が進んでおり、米国政府からも当社へのアプローチがありました。日本企業や政府からも問い合わせが来ており、バッテリーパスポートについて、EU域外の国もEUの要件に沿う方向に進んでいます。そのため、サプライチェーン上で必要なデータも統合化されつつあります。当社としても、日本市場用、米国市場用、EU市場用というような個別のソリューションを開発するのは意味がないと考えています。結果的に企業の負担が増すだけですから。
DPPにおける各ソリューションを「ワンストップ」で調達
Circulorは、バッテリパスポート以外のDPPについてもそれぞれのソリューションが「ワンストップ」で調達できるのですね。
拡大されていくDPPの用途
グリーン氏:そうですね。全てはプラットフォーム上でテンプレートとして構築されています。製品によって、特定のテンプレートを使用することになります。もちろん、現在はバッテリーパスポートが最も成熟していますが、当社はすでにスチールやアルミに関してもどのようなデータが必要となるのかについて顧客と話し合っています。これらのDPPも数年後に適用となる予定です。
欧州委員会はDPPの早期導入を推し進めており、これには様々な理由があります。主目的は、製品の透明性の促進と消費者への選択を提供することです。しかし最近では、DPPは税関管理と国境保全のツールとしても認識されるようになっています。市場に出入りする製品の可視化を可能にするためです。関税の管理には原産国の証明が必要となりますので、その意味でもDPPが役立ちます。
Battery Passプロジェクトの評価は
Circularが重要な役割を担うBattery Passプロジェクトが今年2月に終了しました。結果をどのように評価されていますか?
バッテリーパスポート規格の誕生まで
グリーン氏:非常に高い評価を得たプロジェクトだったと思います。おっしゃる通り当社は、本プロジェクトの技術リードとして、成果物作成に重要な役割を果たしました。まず第一にコンテンツガイダンスです。これは、規制に従って今日必要とされるすべてのデータ属性をマッピングしたものです。もちろん、規制にはまだ未解決の質問があり、現在改善に向け取り組みが行われています。当社は、作業部会に関わり、これまでの経験に基づいて最終作業を進めています。技術ガイダンス・要件も提供しました。コンテンツガイダンスから技術ガイダンスへと構築し、どのような技術プロセスが必要か、どのような技術システムが必要かを示したのです。
また、OEMのバッテリーパスポート・欧州委員会の登録システム・監視システムとなるDPP登録システムとの相互運用性という点で、そのアーキテクチャーを示し、これらすべての種類のデモンストレーションを作成しました。。
ドイツ規格協会は、バッテリーパスプロジェクトに基づき、DIN規格を開発しました。バッテリーパスポートにおける84のデータ属性を基盤に、メーカーがより多くの情報に基づいた決定を下せるよう、サプライチェーンから収集できる8つの追加データ属性も考え出しました。この規格は、米国のエネルギー省も同国の電池の透明性に関する要件を開発する上で基礎とすることを検討しています。このことは、規格の統一化が促進されつつあるということを示しています。DIN規格はJTC24でも使用される予定です。JTC24は、欧州標準化機関であるCENおよびCENELECの合同技術委員会として、DPPの技術標準や、バッテリーを含む製品に関するサステナビリティおよび安全性に関する基準の策定に従事しています。バッテリーパスポートにおける機密性の高いデータへのアクセスシステムについては、JTC24と欧州委員会が協業しています。
ボルボ・カーズのEX90(車種)へバッテリーパスポートを実装。その経緯は
御社がボルボ・カーズと協力してEX90(車のモデル)へバッテリーパスポートを実装した経緯と作業について共有していただけますか?まず最初の質問ですが、準備と実装の両段階でどのような障害や課題に遭遇したのでしょうか。
プロジェクト段階と生産規模段階は違う
グリーン氏:当社は2018年から2019年にボルボ・カーズとの協働を始めました。一次原料であるコバルトのトレーサビリティから開始し、ルワンダからスウェーデンの同社施設までの追跡を行いました。今日では、ニッケル、リチウム、黒鉛、雲母、もちろんコバルトも含めスコープを拡大し、同時に二次原料も含めています。バージン材と再生材の両方を追跡することは、ここ欧州では非常に重要です。バッテリー規則には再生材使用義務もあるため、電池メーカーは2028年からバッテリーに含まれるの再生材含有量を申告しなければなりません。その後2031年以降は、最低含有目標を達成する必要があります。これにはトレーサビリティが必要不可欠であり、規制では、目標値達成の実践ツールであるとされています。
生産規模になると、プロジェクト段階とは異なる追加の運用要素が関わってきます。例えば、実際に電池と車両にQRコードラベルを貼り付ける必要があります。ボルボ・カーズは、当社によるバッテリーパスポートを同社の自動車アプリに一体化することを決めました。こうした作業全体にも時間を要しました。サプライチェーンのトレーサビリティ、バッテリーパスポートの作成はもちろんですが、それを実際に運用化して報告し、顧客にその可視性を与える方法も必要です。
バッテリーパスポートは電池本体にQRコードがあり、車両のBピラー(車両の前部座席と後部座席の間にある柱)にもあります。コードをスキャンしアプリを使用することで、日々のパフォーマンス、電池の健康状態、問題、カーボンフットプリントについてのデータをほぼリアルタイムで見ることができます。
障害と課題は、バッテリーパスポートの運用化に集中することだと思います。また、2022年当時の課題としては、サプライチェーン上の業者の協力と参加、必要なデータを共有してもらうことがありました。しかし今日では、中間業者を含むサプライチェーン全体の組織がバッテリーパスポートの要件を理解しており、当社においても2022年時のように一社からだけでなく、すべての顧客からこの要求を受けているため、それほど大きな課題ではありません。
2027年2月に予定されるバッテリーパスポートの実装。現在ボルボ・カーズが展開しているバージョンで必要となる可能性がある変更や修正について教えてください。
変更・修正への対応は万全
グリーン氏: 当社の顧客は、サプライチェーンから多数の異なるデータを求めています。そのため、実際にはデータ属性をオンまたはオフにするバッテリーパスポートのバリエーションがあります。EV用電池についてはかなり明確になっていますが、産業用電池についてはバッテリーパスポートにユーザーマニュアルを含める必要が出てくると予測されています。それぞれのタイプのバッテリーに対して異なる追加項目が加えられています。対処は比較的容易で、データ属性については、追加が可能です。これはすべて、異なる製品のテンプレートを作成するプラットフォームの一部ですから。
データの安全性確保は
現在の大きな課題の一つが、規制当局・リサイクル業者・コンサルタント・消費者など、異なるレベルのデータにアクセスする方法です。当社は、バッテリーパスプロジェクトでこれを開始しましたが、「検証可能資格情報」と呼ばれるプロセスも独自に開発しました。これにより、規制当局による資格情報の検証を確実にします。その後、バッテリーパスポートに搭載された全てのデータセットにアクセスできます。リサイクル業者には資格情報が与えられ、それらを検証することで、例えばデータの約70%を取得できますが、消費者はデータの約50%しか取得できません。これは概算の数字ですが、こうしたシステムについても取り組んでいます。ここに挙げた過程においても、第三者の存在が非常に重要になります。なぜなら、当社(第三者)がデータにアクセスしようとするアクセスユーザーの資格情報を検証しているという保証があるからです。
ーこの件は本当に重要ですね。データの安全性はバッテリーメーカーの大きな懸念の一つでもあります。デジタルバッテリーパスポートを導入に関する議論が始まった当初から、日本のバッテリーメーカーからは機密情報の扱いについて懸念の声が上がっていました。
グリーン氏:現在そのための作業が進行しています。具体的に説明すると、当社のプラットフォームには公開アクセスと非公開アクセスがあり、2つの異なるステークホルダーグループのみが存在します。非公開アクセスでは制限されたデータにアクセスできるため、それを見るには検証可能な資格情報が必要です。もう一つ、サプライチェーンデータに関して我々が行っているのは、選択的開示と呼ばれるものです。中流業者は全てのデータを提供しますが、我々は必要なデータのみを顧客に開示します。
画面表示では、データがあることを示すチェックマークを付けることはできますが、そのデータを全て表示する必要はありません。これは、すべてのデータを提供したくないという機密性に関して顧客の要望に対応するものです。エンドツーエンドのトレーサビリティを実装するには、全ての段階でインプットとアウトプットを接続しますが、サプライヤーのすべてがこのデータを見る必要はないのです。サプライチェーンの各段階でどのデータを開示すべきかについても顧客と協議しています。当社のプラットフォームでは、データポイントはハッシュ化され、その横にチェックマークが付いて、「データはありますが、表示できません」というように示されます。
企業にとって大きなインセンティブは透明性とリスク回避
ーボルボ・カーズは単なる規制遵守を超えたインセンティブをどのように見つけているのでしょうか。多くの日本企業が、今すぐ取り組むべきか、規制により本当に必要になるまで待つべきかを考えています。規制への対応のほかに何か大きなインセンティブはあるでしょうか。
グリーン氏: ボルボ・カーズがバッテリーパスポートを次のモデルES90にも展開していることは、彼らがリーディングポジションを継続したいと考え、バッテリーパスポートに価値を見出していることの明確な表れだと思います。
例えば、ボルボ・カーズとポレスターは、両社とも2025年までに各車両の温室効果ガス排出量を30%削減することを目指しており、今年それを達成しました。2030年までに75%削減し、2040年までにネットゼロを目指しています。こうした目標の達成には透明性の追求が必要となります。透明性は明らかに大きなインセンティブです。またリスク削減についても同じことが言えます。
一般的な話になりますが、米国で事業活動を行っている会社のなかには、現在、数十億ドル相当の製品、車両、ソーラーパネルが実際に米国市場に入れず国境で停止されるという状況に直面するケースがあります。これは、企業が自社製品について、製品、材料、コンポーネントが、新疆ウイグル自治区における強制労働により生産されたものではないことを証明できないためです。製品を市場に出せない場合、企業にとって巨大な運営コストです。
こうした出来事は、特定の製品ラインについて材料や製品の由来を追跡していなかったことから起こった一例です。米国のウイグル強制労働防止法と懸念のある外国事業体に関する要件を見ると、これらは大きなリスクであり、製品がどこから来ているかを知る可視性がますます重要になっていることがよくわかります。
ー一部の日本のステークホルダーは、行動を起こす前に明確なインセンティブを求めてまだ様子見の状態にあると理解していますが、この段階でのアドバイスはありますか。
グリーン氏:バッテリーパスポートは単なるITプロジェクト以上のものです。戦略的で、組織内の機能を横断する作業が必要であり、時間がかかります。そのため、まだ準備を始めていない企業は今すぐ開始する必要があります。すでにサプライチェーン参加者のネットワークを確立し、トレーサビリティとサステナビリティデータをプラットフォームとして提供する中立的な第三者と協力することで、開始するプロセスがはるかに効率的になるでしょう。
