映画『せかいのおきく』が、いま劇場上映されている。
舞台は、江戸末期。日本は外国から開国を迫られ、激動の時代を迎えていた。『せかいのおきく』は、この時代に江戸の長屋に生きた人の生活・恋・人生観・世界観などを、コミカルかつ文学的に情緒的に淡く深く描いた映画だ。そして、『せかいのおきく』の根底にあるのが、当時すでに存在した循環の仕組みである。
作中にいきいきと描かれる若者2人の職業は、下肥(人糞)買い。人糞は、世界で古くから肥料として農業に活用されていたが、日本では人糞は下水には流されず衛生的に扱われていたのが特徴だ。江戸末期、1858年に日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリス初代米国総領事は、入港後に領事館を構えた静岡県の下田について清潔で気持ちがいいと日記に綴っている。
当時、人口100万人を超え世界最大級の都市だった江戸も同様で、上下水道は整備され人糞は下水に流されず、清潔な状態が維持されていた。良好な衛生状態は、人の健康を保ち、人と社会に大きな循環をもたらす。この江戸の清潔さと循環に寄与していたのが、作品に登場する若者2人のような下肥買いである。
(出典:映画『せかいのおきく』)
2023年6月6日~11日、ドイツ・フランクフルトで第23回日本映画祭「ニッポン・コネクション」が開催された。同映画祭は日本映画の”いま”を伝えるべく、毎年約100本の日本映画を上映しており、今年『せかいのおきく』も上映された。
Circular Economy Hub編集部は、6月9日に「ニッポン・コネクション」で上映された『せかいのおきく』を鑑賞。後日、企画・プロデューサーとして『せかいのおきく』を立ち上げ、美術も手掛けた原田満生氏に話をうかがった。
原田氏は、『せかいのおきく』の監督である阪本順治氏の多くの作品で美術監督を務め、数々の美術賞を受賞している。そのほか、『テルマエ・ロマエ』『日日是好日』『散り椿』など、さまざまな作品に映画美術監督として参加してきた。
『せかいのおきく』は、原田氏が立ち上げたプロジェクト「YOIHI PROJECT」の第1弾作品だ。YOIHI PROJECTは、日本映画製作チームと世界の自然科学系研究者が協力して、さまざまな時代の「良い日」に生きる人々を描き「映画」で伝えていくことを目指している。
6月9日の『せかいのおきく』上映会場は満席だった
原田氏が立ち上げた「YOIHI PROJECT」
まず、YOIHI PROJECTについてうかがった。
「いま、世界には環境問題・バイオエコノミー・サーキュラーエコノミー・自然との共生など、さまざまな課題があります。この課題を映画の中にテーマとして散りばめて、説教じみずにドラマ中心に映画をつくり、観客が自発的に考えるきっかけをつくるのが、YOIHI PROJECTの目的です。
100~150年後に伝えていくことも、同プロジェクトのテーマです。いま、こうした課題を解決できなくても、100~150年後には時代・技術・人も変わっているはずなので、映画人と学者が連携して、長い間伝えていく・持続させていくということを目標に活動しています。映画人と学者が連携して、いろいろな視点で作品をつくるという、いままでにないようなプロジェクトです」
YOIHI PROJECTを立ち上げたきっかけ
「私が病気になって映画の仕事を何カ月か休んだ時期があり、その時ちょうどコロナ禍になり、いままでの価値観が崩壊しました。転換期であると感じるとともに、自分の体も1回リセットする時期がありました。映画もコロナ禍で撮れず、残りの人生を映画とどのように向き合っていくかなどを考えている時に、学者の方々と出会って話す機会がありました。
そのなかで、環境問題などについて映画をとおして伝えていくことや映画との向き合い方について考え、意見交換しました。そして、やってみる価値があるのではないかという結論に達し、プロジェクトを立ち上げて資金を調達して、第1弾の映画である『せかいのおきく』の製作に至りました」
世界の自然科学系研究者が参加するYOIHI PROJECT。そのきっかけと今後の協働
「たまたま、自分が住んでいるところで研究者の方に出会い、その方から他大学の研究者とつながりました。今後は、東京大学と提携して活動していきます。東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部の教育プログラム『ONE EARTH GUARDIANS』と提携し、学生と一緒にプロジェクトについて話し合って企画を立ち上げていく予定です」
環境保全という課題とエンターテイメントを融合。良い点・面白い点・難しい点とは?
原田氏は、エンターテイメントとしての映画に長年関わってきた。今回、環境保全という課題と原田氏がこれまで築いてきたエンターテイメントを1つの映画に融合することにおいて、良い点・難しい点・面白い点をうかがった。
「良い点は、知らないことを知ってもらう機会になるということです。映画は雑誌・新聞・ネットなどの記事とはまったく異なり、伝えるという行為の回数と露出する機会がとても多いため、人に知ってもらう機会が多くなります。頭でっかちでない伝え方であれば、楽しんで笑いながら、知らず知らずのうちに環境問題に触れられることです。
難しい点は、いろいろな人に映画をみてもらおうと取り組んでいますが、映画は基本的にエンターテイメントなので、環境問題に興味がない人や映画に環境問題を求めない人もいるため、対象が偏ってしまうことです。
面白い点は、環境問題に関心がある人と映画人では視点がまったく違うので、出会う人が変わってくる点です。ネットワークも変わってくるため、新しい出会いが多くなり、そこは面白いと思います」
サーキュラーエコノミーをテーマにした理由
「研究者の方から、企画のテーマをいくつか提案されました。江戸時代・うんち・底辺から世の中をみるという映画はこれまでなく、面白いと思いました。このテーマは、根本的にいやだという人もいて、リスクはありましたが、このような視点で循環を時代劇として表現することは面白いのではないかと思いました」
撮影で使用したものは、すべてリユース品
『せかいのおきく』では美術セット・小道具・衣装など、撮影で使用されたすべてのものがリユース品だ。映画業界において斬新な取り組みである「リユース」に至ったきっかけをうかがった。
「映画は、新しいものだけで撮影するシーンはあまりありません。10年・20年・50年前という舞台設定が多々あり、そういう場合は、新しくつくった材料を古く見せます。しかし、もともとある古いものを取っておいて、組み合わせることもできます。組み合わせることは大変な部分もありますが、パーツとして使っていけば、リアリティも増していいなと思い、これまで使用したパーツを以前から捨てずに保管していました。
街中にある古いものを買ったりもらってきたりして、保管し撮影に使い、それをまた保管するということを繰り返した時期もありました。もともと、アンティークは温かみがあって好きなので、いままでやってきたリユースをそれほど特別なこととは考えずに撮影現場に取り入れました。これをリユースと言われれば、そうなんだなという感じです」
実は、原田氏は15年ほど前から映画の撮影現場でリユースしたものを使用してきた。リユースするには、パーツを保管しなくてはならない。コストについてうかがった。
「基本的に、サーキュラーエコノミーはお金がかかるから難しく、不可能な面があります。パーツのリユースのコストは高く、新しいものをつくって捨てる方が安いです。それでも、いろいろな映画に関わるなかで、使用するパーツも多く、それを保管する場所もあるので、やりくりしています」
回収した糞尿を運搬するのに使用される汚わい船(出典:映画『せかいのおきく』)
今後、映画製作で実践していきたい循環型の取り組み
「フードロスに関連して、撮影現場での弁当があります。撮影現場では、基本的に弁当やケータリングサービスを利用します。弁当を利用するにあたって、弁当箱や紙などのごみが出ます。YOIHI PROJECTの2作目『プロミスト・ランド』は、山を舞台にしています。撮影中、弁当屋さんに弁当箱を持っていって食事を詰めてもらい、同じ容器を弁当屋さんに翌日持っていき、また食事を詰めてもらいました。
これはたまたま、山の中の撮影だったので、ごみは持ち歩けないということから始まりました。でも、これは今後結構活用できるなと思っています。私は映画のセットなどはリユース用に持ち帰りますが、映画の撮影時にはごみが大量に出ます。朝・昼・晩、撮影現場で食事して紙コップで飲み物と飲むと、さらに多くのごみが出ます。これは、本当に小さなことですが、小さなことの積み重ねは大切だと思っています。YOIHI PROJECTは、こうしたことを実践していきたいと考えています」
『プロミスト・ランド』の撮影現場では、普通の弁当が大量に積まれることなく、毎日各人の名前の書かれた弁当箱が配られ、「なんか、面白いな」と感じたと原田氏は語った。撮影現場では通常、一食につき50~100個の弁当が用意されるという。
ドイツで開催された日本映画祭「ニッポン・コネクション」。現地の反応は?
「現地では大体同じような質問を受けますが、今回『このような映画づくりは、日本で流行っているんですか?』と質問され、とても嬉しかったです。この質問は、初めてでした。『こうしたサステナブルな映画製作は流行っていませんし、世界で初めてです』と答えました。『せかいのおきく』が認められた瞬間だと感じ、よかったと思いました。ドイツでこうしたことを言われるとは、思っていませんでした。
ドイツの人は、映画を通じて環境問題に興味を持ってくださいます。日本では『せかいのおきく』はロマンス映画として受け止められることが多く、環境問題に焦点があてられることは多くありません。しかし、海外では環境問題に焦点があてられます。これが、私自身が日本との違いを感じ、面白いと思っている点です。
また、ドイツではないのですが、他の国の一般女性が私に言った『せかいのおきくは、循環型社会の中でのLoveとHopeの映画ですね』という感想が印象的でした。この映画についての事前情報がないなかで、循環という価値観が根付いている欧州で育った人に、こうした感想を持っていただけたことは興味深かったです」
『せかいのおきく』のテーマは、サーキュラーエコノミー。監督・スタッフ・俳優の反応は?
「当映画の試みは初めてのものでしたので、みなさん最初は半信半疑だったと思います。一般の人の生活において、環境問題やサーキュラーエコノミーについて身近に話し合う機会はそれほどありません。これは、映画業界の人も同じです。
環境問題やサーキュラーエコノミーは自分にとって綺麗ごとで、知識もないし世の中が変わるわけでもないので、苦手だという意見もありました。とはいえ、映画を製作し公開すると、反応が大きく違うことに気づきました。海外では、環境問題やサーキュラーエコノミーについて言及されます。取材を受けるときも、映画のコンセプトについての質問に答えています。
監督・スタッフ・俳優などすべての製作メンバーは、世界各地の『せかいのおきく』の大きな反響を実感しています。製作メンバーが最初に当映画に抱いていた考えは、いま変化していると思います。製作メンバーは、海外で多くの人が興味を持ってくださることを体感し、投げかけられる多くの質問に答えるために勉強しているはずです。これは、面白く、いいことです。当映画にサーキュラーエコノミーというテーマを含めることによって、海外からもまったく違う見方・大きな反応・アプローチを得られたと思います。この点は、製作メンバーにとって驚きであり、視野が広がったのではないでしょうか。
『せかいのおきく』は今後何年も、いろいろな場所で上映できると思っています。この映画は長く持続的に、小学生から大学生まで教科書のような形で伝えていけると思っています。非劇場という形で行政と連携し、『せかいのおきく』をみなさんに楽しんでもらいたいです」
YOIHI PROJECT、今後の展望
YOIHI PROJECTは、『せかいのおきく』に関連して子供向けの本やアニメなどを販売している。教育・体験プログラムをはじめとする、今後のYOIHI PROJECTの計画と展望についてうかがった。
「資金面もあるのでバランスが大切になりますが、今後はコンテンツ作成をメインにしていきたいと思っています。環境問題について、若い世代は真剣に考えています。若者に伝え持続させていくには、次世代の人たちとの協働が必要です。次世代に伝えていく方法についての意見を聞いてみたいと思っており、東京大学をはじめとする大学と連携して活動していきます。私たちから『こうしましょう』という提案はせず、若い人たちに『どうしたらいいか』を聞いてみたいと思っています。私たちの思いが若い世代に伝われば、彼らも次世代に伝えていくのではないかと思っています。
コンテンツをつくるのは大変ですが、つくったコンテンツの運用方法を若者と一緒に考えていきたいです。また、文化も言葉も異なるさまざまな国で、積極的に伝えていきたいです」
編集後記
100~150年後を見据えて、映画人と学者が連携し、伝え持続させていくことを目指すYOIHI PROJECT。「伝えていく対象である次世代と協働して、今後活動していきたい」という原田氏の考えが、とても印象に残った。そして、「舞台セットや弁当箱のリユース」を自然な形で取り入れたこと、それを面白いと感じたということを興味深くうかがった。こうした試みは、同氏が長年映画に関わってきたなかで、すでに「小さなことの積み重ね」に重きを置いていたことの結果だろう。
原田氏は、『せかいのおきく』のテーマについて公式サイトでこう語っている。
江戸時代は資源が限られていたからこそ、使えるものは何でも使い切り、土に戻そうという文化が浸透していました。人間も死んだら土に戻って自然に帰り、自然の肥料になる。人生の物語もまた、肥料となる。自然も人も死んで活かされ、生きる。この映画に込めた想いが、観た人たちの肥料になることを願っています。
今回のインタビューのなかで原田氏は、循環をテーマにしたエピソードやせりふが『せかいのおきく』のなかに多く散りばめられていると述べた。みなさんは、『せかいのおきく』に散りばめられたさまざまな循環について、どんな感想を持たれるだろうか。
映画情報
『せかいのおきく』全国公開中
出演:黒木華 寛一郎 池松壮亮 眞木蔵人 佐藤浩市 石橋蓮司
脚本・監督:阪本順治
配給:東京テアトル/U-NEXT/リトルモア
©2023 FANTASIA
【参照サイト】YOIHI PROJECT
【参照サイト】『せかいのおきく』
【参照サイト】ニッポン・コネクション
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※文中の注釈がない画像はすべて筆者撮影