Circular Economy Hub 編集部では、「Circular Cafe & Bar」という名のもと、定期的にコミュニティ会員限定のオンライントークの場を開催。(詳細はこちら。)話題提供を行うゲストや編集部メンバーがテーマ設定の理由や問いを冒頭に投げかけ、その後参加者で自由に意見交換を行うという流れで進行しています。

話題提供パート:「服」とは何かから考える、衣服のサーキュラーエコノミー

今回話題提供を担当したのは、ハーチ株式会社代表取締役の加藤佑さんです。

衣服には主に3つの役割があります。

  • 身体を守るための「体温調節」
  • 制服や冠婚葬祭時の服装に代表される「社会的地位の表象」
  • 服を通じて自分らしさや個性を表す「身体装飾」

「服とは何か?」という根本的な問いを起点として、上記3つの役割を紐解き、人間や自然と衣服の関係について再考することは、サーキュラーファッションについてより高い視座で向き合うことにつながります。以下、共有された内容の一部をご紹介します。前半は書籍ひとはなぜ服を着るのか』(鷲田清一著 ちくま文庫. 2012)を読んでの所感が紹介されました。

服とは何か

人間は裸の状態から生まれ、ファッションを通じて自分という存在を創り上げていく。ファッションを見ればどんな人か想像つくように、衣服を着れば着るほど自分という存在や考えが露わとなる。

与えられた身体に介入し、生まれたままの姿からありたい姿に近づくために衣服を重ねていく行為がファッションとすると、ファッションは身体という自然への介入行為といえる。

一枚目の服としての身体

自分がこう見られたいという創造は、身体の改造から始まる。自分にとって、一枚目の服は自分の身体である。痩せたいと思っても簡単には痩せられないように、身体は自分の欲求通りにコントロールできない。自分という身体を一枚目の服として考えると、自分の理想に近づけ改造していく「ダイエット」と衣服を重ねていく行為である「ファッション」は、ともに自然への介入行為として本質的には同じであるといえる。

さらに、薬草などを衣服のように身体に纏い病気の原因となる邪気を防ぐことを「外服」、身体の中に入れて体内で邪気を防ぐことを「内服」と言い表すように、内外から働きかけ身体を守り、整える行為をともに「服」という言葉を用いて表す。内服・外服という概念において、ダイエットは内服的アプローチ、ファッションは外服的アプローチといえる。

人と自然との向き合い方を外服と内服の概念で考える場合、例えば「羊」へのアプローチとして、(羊毛を)着用し暖を取るほか、食べて栄養を摂るという2つがある。他動物や植物についても同様に、食べることと着ることはシームレスであり本質的には同じとも考えられる。

衣服に表れる自然の捉え方

衣服の作り方には、自然へのスタンスが表れる。着物は一反の布から成り、着付けによって衣服が身体に沿うように作られる。一方、西洋のコルセットは、衣服に身体が合わせるように作られる。自分の身体という自然のありのままの姿を活かすデザインか、服を通じて身体の形そのものを変えようとするか、自然への介入の仕方に違いが表れている。

自然へのスタンスの違いは時代によっても変化する。縄文時代と弥生時代を例にすると、縄文時代の衣服は模様や色が鮮やかなのに対し、弥生時代にはシンプルで簡潔化されるようになる。これは、弥生時代が史上初めて自然をコントロールできるようになったことの証である農業が始まったことが大きく影響していると考えられる。

狩猟採集が中心で、自然はコントロールできないものであった縄文時代においては、宗教など祈りの要素が強く、その思想が衣服の模様や色の鮮やかさに表現されている。一方、自然がコントロールできるようになったことで、弥生時代の衣服はより合理的で簡素化されたと考えられる。

衣服と社会的地位

衣服は、その人の社会的地位を表現することにも使われる。

例えば衣服のうち制服は、職業や帰属がわかることで個人を画一化することで個性を無くすという面もある。その反面、貧富の差を見えなくする役割も担う。

衣服は自分らしさ表現するものである一方、社会の中の自分を表現する際には公平・平等(Equity)という相反する視点が入っている点で特徴的である。

ファッションのサーキュラーデザイン

上記の内容から、ファッションのサーキュラーデザインに必要な視点を考えると以下の3つが挙げられる。

Product視点からPlanet視点へ

例えば衣服が化石燃料で作られるなど自然環境悪化の要因の一つであるという視点で捉えると、気候変動が進むことで、結果として本来の役割である自分の身体を守るための体温調節ができなくなってしまう。ファッションをプロダクトとしてではなく、地球全体や自然との関わりの中で捉えていくことが必要である。

Equityの視点

衣服が社会的な地位を表象するものだからこそ、服を通じていかにして「Equity」の視点を表現できるかが大切である。

Respect Nature

二つの「自然」に対するリスペクト。一つ目は「ネイチャー」としての自然に対して、人間がコントロールできるものではないという認識を持つこと。そしてその思想をベースに生まれてくる芸術や芸術性を大事にすることでより豊かなファッションが生まれてくるはずである。

二つ目は「自分の身体」という自然への姿勢。自分の身体をコントロールできるもの、自分が所有するものとして捉えるのではなく、ありのままの姿を受け入れ尊重する姿勢を持てるかが重要となる。

【参考書籍】『ひとはなぜ服を着るのか』鷲田清一著 ちくま文庫. 2012

ディスカッションパート

上記の内容を参考にしながら、参加者による意見交換が行われました。 下記は、ディスカッション内容の抜粋です。

自分にとって服とは何か

  • コロナ禍でのリモートワーク普及やメタバース登場など、世の中が大きく変わった。そんななか、何をもって自分というか、自分という存在は今後ますます拡張し曖昧になっていくだろう。身体装飾としてのファッションや自己表現の形も変わっていくのではないか。
  • オンラインでしか会ったことがない人も、対面で会う際にその人の全身やファッションを見て、イメージ通りだったかどうか答え合わせを無意識に行っている。ファッションはその人らしさを判断するための重要な要素だと思う。
  • 緊急時に警官や医者、被災地で自衛官を見かけることで安心することがある。その人自身は知らなくても、私たちは服装で社会的な存在を認知しているのだろう。
  • 集団の中でどういう存在でいたいか、目立ちたいなら変わった服装をするし、混ざりたいなら同じ格好をするなど、ファッションは関係性の表出である。そう考えると、着れば着るほど脱いでいるような不思議さがある。

衣服と自然の関係性について

  • 自然に対するスタンスが衣服に表れるという話は非常に興味深い。何をもってオシャレというのかにもよるが縄文時代のように鮮やかな色や模様の表現をオシャレだとすると、自然に対する思想と芸術性は密接に関係していると感じる。
  • 他の民族にも同じようなことが言えるかもしれない。自然のあらゆる場所に神様が宿るという思想を持っている民族も多い。縄文時代に通じる部分があるのでは。

Planet 視点を持つには

  • Product視点からPlanet視点を持つためには、地球全体のためにという意識だけではなく、繋がっている感覚を持つことが重要。自分と世界は繋がっていてお互いに関係し合っているものであることや、自分という存在と世界の領域は意外と曖昧であることを認識することから始まるのではないか。
  • 問題の根幹は時間軸にあるのではないかと思う。動物も食物を全て無駄なく食べるだけでなく食い散らかすことも多いが、残飯はすぐに土に還るから問題にならない。廃棄物を出すことではなく、再循環されるまでの時間が長すぎることが問題となる。ポリエステルは分解まで長い時間を要するが、地球の歴史という時間軸で見ると最終的には循環する。自然の循環のリズムに戻すとことは、人間の一生という時間軸に戻していく(速めていく)行為といえる。

    数億年かけて作られたものを一瞬で捨てる行為は時間軸の違いからバランスが悪くなる。化石から作られるポリエステルではなく、今そこで摘んできた草から作られる衣服を纏うほうが自然であり、その時間軸さえ守っていれば上手く環っていくのではないか。
     
  • 私たちは概して食べるものがケミカルなのは嫌だけれど衣服は気にしない傾向にある。ファッションを内服と外服のような捉え方をすると、食べ物の地産地消は意識するのに衣服の地産地消は不要という考え方にはならないはずだ。
  • 上記のようなことを個人の意識の変革として捉えるとハードルが高くなる。いかに仕組みとして組み込めるかがサーキュラーエコノミーの挑戦になるだろう。

Equityの視点

  • ドイツでは子どもにも表現の自由があるという考え方なので、制服は禁止である。一方でセカンドハンドの流通が活発で、新しい服を買えない家庭も衣服を手に入れられる環境がある。制服がなくてもサーキュラーな仕組みで貧富の差が出ないような社会構築ができるのではないか。
  • 同様に他人のファッションや外見について、評価したり価値観を押し付けたりせずにありのままを受け入れる文化があることも重要だろう。

自分らしさとサーキュラーファッション

  • サーキュラーエコノミーの観点でファッションを考えることで衣服との向き合い方が変わった。これまでは新品の衣服を躊躇なく買っていたが、今は本当に着るのか、果たして長く着られるのかを考えるようになった。手持ちの服をいかに長く楽しめるか、リペアやリメイクできないかなど今ある服への意識も変わった。
  • ファッションを楽しむことは、自分以外の誰かが決めた流行などの価値観で動くのではなく、自分が快適なファッションを季節ごとに楽しむことだ。本当に自分に合っている衣服の組み合わせを変えて楽しむことは可能で、短いサイクルで大量の衣服を手に入れては手放しを続ける必要は必ずしもないと思う。
  • サーキュラーエコノミーとファッションの多様性は一見トレードオフに見えるが、サーキュラーエコノミー型価値観を持つ人が多くなることで、ファッションを楽しむこととサーキュラーエコノミーはトレードオフではなく掛け算になっていく可能性がある。また、毎日同じ服を着ている人を格好悪いと思わない社会の醸成や、PaaSのように所有しない選択肢など社会システムの再構築によって解消することもできるのではないか。

編集後記

今回話題提供を担当した加藤さんからは「今回のファッションに限らず、食や住のあり方や歴史など根本を掘り下げていくと本質を突く瞬間がある。今後も探求をしていく中でサーキュラーエコノミーを広く捉えられたらと思います。」というコメントがありました。

私たちの普段の行動習慣は、少なからずこれまで先人たちが培ってきた文化や歴史に影響を受けています。いつもは当たり前と流してしまうことも、立ち止まって考えることで新たに見えてくる視点や未来へのヒントがあるのだと感じます。

Circular Café & Bar では毎回明確な答えのない問いから、サーキュラーエコノミーについて考える試みを行っています。

ご参加いただくことも会話に参加してもラジオとして聴くことも可能です。(過去のアーカイブも視聴可能)

なお、非会員の皆様もお試しでご参加いただくことが可能です(1回限り)。参加ご希望の場合、お手数ですがお問い合わせフォームよりご連絡ください。

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過去のテーマ

2021年
  • 7月1日 (木)  「数社が資源・情報などを独占する“サイロ“に陥らないために必要な視点」
  • 7月15日(木) 「CEのシステムチェンジを実現するためのアプローチとは?」※レポート記事はこちら
  • 8月5日(木)  「PaaSの先のPaaR (Product As a Relationship)」
  • 8月19日(木) 「サーキュラーエコノミー(循環経済)は「循環させる経済」なのか」
  • 9月2日(木)  「サーキュラ―エコノミーの行く末は、グリーン成長か卒成長か?」
  • 9月16日(木) 「どんな社会・未来を実現したいですか?」※レポート記事はこちら
  • 10月7日(木) 「サーキュラーエコノミー で消費者は今後どんな存在になっていくのか」
  • 10月19日(木) 「サーキュラーエコノミーは信頼されているのか」※レポート記事はこちら
  • 11月4日(木) 「サーキュラーエコノミーのための「文化醸成」に寄与するであろう日本文化・哲学とは?」レポート記事はこちら
  • 12月2日(木) 「サーキュラーエコノミーと国内生産・地産地消について」
  • 12月16日(木) 「サーキュラリティ測定に必要な要素を考える」レポート記事はこちら
2022年
  • 1月6日(木)「循環する社会の実現に向けて、今年やりたいこと・やめたいこと」
  • 1月27日(木) 「循環する街づくりを研究しよう! ~サーキュラーヴィレッジ大崎町が目指 すこと~」Podcastはこちら
  • 2月3日(木) 「サーキュラーエコノミーと今後の働くを考える」
  • 2月17日(木) 「サーキュラーエコノミー移行に向けて、日本が強みにできることは何か?」
  • 3月2日(水)「『服』とは何か?から考える衣類のサーキュラ―エコノミー」

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